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三島という町について知ろう。

旅から旅へと、私たちは旅を住処としているのですが、ホテルとグランドとコンビニ以外の場所を知らない。
結局どこへ行っても同じことしかしていないのですね、大抵は。

それで私はせっかくだからということで、毎回新しい場所に来るとその土地の勉強をして、
行くことは出来ないけれど脳内観光を楽しむことにしています。
そしてこの広報日記を通して、私たちホッケーチームにプレーする場所を与えてくれている地元の皆様に感謝の気持ちを伝えると共に、応援で来てくださるファンの皆さんや関係者・選手にも知ってもらえたらなあと思っている。

三島、といえば江戸時代の東海道三島宿があった街道の町として知られています。
太古よりあちこちでキレイなで湧水があり、かつては水害に悩まされた過去もありますが
水を克服することで水の都となり、現在も「水の郷百選」にも選ばれています。


▼東海道の宿場町として「箱根越え」の休憩地の役目を果たしていた三島宿
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(安藤広重版画 東海道五十三次 三嶋宿)
朝霧のたちこめる秋の寒い朝、三嶋の宿を立つ旅人を描く。旅人は三嶋大社で旅の安全を祈願しました。


江戸以前、鎌倉時代には時の将軍・源頼朝が三嶋大社(三嶋明神)を保護したことから鎌倉に通じる道も開通し、町はいっきに開かれていきました。頼朝はこの三嶋大社を深く崇敬し、平家打倒の90日祈願を行ったとも言われています。


▼奈良平安の時代から東海随一の格式として崇められた三嶋大社
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山森農産の守護神・大山祇命[おおやまつみのみこと]、商工漁業福徳の神・積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ](=恵比寿様)をまつる。一方で頼朝平家打倒祈願の伝承から「武門の神」としても崇められる。


三島は文化の交流地としても重要な位置づけにあり、「三島暦」という独自の暦を作ってたほど、文化水準は高く周辺の地域に与える影響も大きかったと言えます。穏やかな気候と振り仰げば富士山を拝むことが出来るこの町は、伊豆の都として発展を続けてきたのでした。

ところが明治時代になり、太平洋側の主要な都市を結んで東海道線の電車が走り始めたとき、三島に駅は作られませんでした。伊豆地方における文化と交通の中心的存在だった三島が初めてその第一線から姿を消してしまった瞬間です。

しかし、挽回のチャンスはやってきました。東海道新幹線が昭和44年に開通する際、待望の新幹線の駅の誘致に成功、東京と直結する高速鉄道の駅を持つ保養地として新たな時代を迎えたのでした。

▼明治維新で活躍された小松宮彰仁親王の別邸「楽寿園」
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富士噴火の溶岩(三島溶岩流)の上に、美しい湧き水と自然林が形成された庭園で三島を代表する歴史的景観地。


以上、お食事前の時間にちゃちゃっと書いてみました。不思議なことに改めて見てみると、街の風景に親しみを感じてくる!

このあと18:30から夕食、選手はその後ミーティング。



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by fraterkouhou | 2013-08-10 18:17 | つぶやき

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