2012年 08月 17日
スポ根とTVショウ
強いリーダーシップや輝く目標、世の中に好意的に受け入れられる理想、そうしたものが個人の期待や希望を後押ししたり、オーバーラップして背面支援の役目を果たしたりすることも多々ある。
閉塞感が充満する日本の社会に、天使のように舞い降りた38人のメダリストたちは、まさに震災以降「ろくなことがない」日本にとって「久しぶりに手放しで喜べるマトモな慶事」なのだった。
支える家族の愛やそこに至るまでの長い長い努力の道のり、経済的困窮、競技的不遇、ケガなどの肉体的苦痛、引退と隣り合わせの精神的苦痛、
そうした苦難がメダルという形でハッピーエンドを迎えると分かっているから私たちはメダリストの特集番組や出演番組を安心して見ることができるのだ。
テレビマンたちは「だいたいのストーリー」を頭に描いて歩む軌跡を取材する。その「だいたいのストーリー」とは多くの場合は「ハッピーエンド」が想定されているから
「ハッピーエンドになりそうな選手(競技)」は各局とも奪い合いの取材合戦になる。特に欲しいネタはずばり
「○メダルに隠された秘話」である。
日本人のハートをえぐるお話としては、妻子や夫とかリアルで生々しい家族はインパクトが弱い。
「亡き○○に捧げるメダル」がやはりダントツのネタであり、日本人を泣かす泣かす。もう会えない人であるという手の届かなさ、間に合わなかった感などのやりきれなさを、
遺影での観戦、墓前への報告、亡き人が生前に語った言葉や交流している写真などにより叙情的に説明し、
ハッピーエンドでありながら「僕を私をいつまでも見守って」的な恒久エンドレス伝説にまで高めていく手法だ。
これを業界用語的には「死人に口無し」と申します。
次に「母の支え」。
これもまた泣かす泣かす。日本人はお母さんが大好きで、特に「息子を応援する母親」に弱いのだった。
娘を応援する父親ってのはイマイチ弱い。なぜだか理由は分からないが、母親は女性で弱者的存在であり、その弱者がメダリストという強者を生み出した原動力であるという逆転的構造がインパクトに繋がるのだろう。
母親が闘病していたりするとますますいいネタになる。カメラは病室の中まで入っていき、元気だった頃に温泉に行った写真やら、何十年も前の入学式の親子記念写真などをメモリアルアルバム風に構成していく。
母親が元気な場合は「食事」を軸とした陰のサポートにスポットライトが当たり、特にこれといって「アスリートを支える食事」関係にタッチしていない場合は「息子の大好物」「母の手料理」にシフトされていく。
ダイナミックアレンジとしては「海を越えたライバルとの友情劇」があるけれど、これは個人競技に限る場合が多く、それよりは団体競技にありがちな「支え合ってきたチームメイトとの絆」の方が老若男女の支持や共感を得やすい。
メダルというハッピーエンドにならなかった場合も亡き人への感謝や母の愛、チームメイトとの絆は色褪せることなく「夢を諦めない」「未来に向かって」頑張るというエンディングへと結ばれる。
日本人はこうした「勝負とは関係のないところにある外伝」的なものや「今だから明かせる、実はこうだった」的な秘話、「メダルより重要な人間としての何か」みたいなアプローチに弱いから
見たことも会ったこともない選手を
ええ子やぁ~。(号泣)
立派なお母さんだ~。(号泣)
と泣きに泣くのだよね。
アメリカなんかでは「難病の子供のために勇気あるプレイを見せて励ます」というノブレスオブリージュ的なものが選手の人格を高める鉄板ネタとしてありますけど、
日本人にはそういう「赤の他人への絡み」はフィットしないらしく、ネタとしては殆ど採用されませんね。
イギリスなどでは「女王陛下からナイトの称号を!」も鉄板ネタみたいですけど、日本におけるナイト的な「国民栄誉賞」は「谷亮子が貰えてなんで野村が貰えないんだ」みたいな議論の余地がありすぎて、クリーンじゃないイメージになってるからダメなんだろうな。
日本のTVショウはこうした人情ドキュメントを作らせたら世界一と言われていて、五輪のたびに世界中のマニアが日本の、日本人っぽい「泣かせネタ」を探し回ってコレクションしているのだった。
そういうことを知るとなんかムカつくんだけどさ、まあ4年に一度しかスポットが当たらない人も多いわけで、ましてや家族なんかは何十年も支えていても一生日の目を見ない人が殆ど。
本当にそれは日々肌で感じてるわ…。
TVは曲がり角を迎えたメディアだけど、私の持論としてはTVは生中継だけやっていればいい!と思います。
下手に構成作家があれやこれや考えて物語を作るからありもしないヤラセが生まれたり誇大表現や捏造や、歪曲情報が流れたりしてしまうわけで。
とは言え仮に生中継だとしてもアナウンサーのコメントはある意味作られた台詞であるから、やっぱりTVは信じちゃいけないっていう部分はあるだろう、と思うよ。
最初に戻るけれど、私たちは夢や希望もない人生は生きられないから明日を生きるネタを常に探しながら今日を生きてる。
TVはその隙間にトロッと甘い蜜を流し込むことで成り立っているメディアだと思う。
まだまだTVの時代はそう簡単には終わらないけれど、無条件に疑いもなくしんじて見ている人々はだんだん減ってきていて、
懐疑的に見ている人々が増えつつあるのは大変良いことだと思います。だってTVショウは視聴者のためなんかに作られてないしね。
小学校ぐらいでTVというメディアの真実、という授業をやるべきだと私は思うんだよな。
by fraterkouhou | 2012-08-17 22:15 | TV・映画