恵那へ

恵那へ向かう電車に乗っています。

毎日毎日慌ただしく撮影取材が立て込んでいるというのに、今日はたまたま、本当にたまたま、エアポケットのように空いたこの数時間に、昨夜重要な予定が入りました。


叔父がなくなったのです。
私は叔父の葬式に向かっています。


この人は父の兄ですが、私にとって特別な存在です。もし私が野口英世のような偉人であれば、叔父の存在は「偉人を生んだ立役者」的な位置付けで語られることでしょう。

むろん、私は偉人などではなく凡人ですけれど、凡人だって生きる意味があります。

虚弱体質で生まれ、先行きの見通しも立たなかった私を、預かってくれたのがこの叔父なのです。

多分、父が相談したのでしょう。
どうにか健康にしたいと思ったのか
ろくに遊びにもいけない私を哀れんだのか
弱い子の世話に明け暮れていた母を思いやってのことなのか
あるいは、やっかい払いの意味もあったかも知れない、当然だろう。

かくして父に騙され置き去りにされ取り残されるところから私の田舎生活が始まりました。

夏休み春休み冬休み、回りには家も灯りもない山奥の一軒家に預けられて暮らす日々。


あの「ど田舎村春夏冬季強制合宿」がなかったら私の今の人生はありませんでした。(間違いない)


不思議なことに向こうにいる間は何を食べても吐くことなく、熱も出ず、一日中炎天下で遊んでも泡をふいてぶっ倒れたりしなかったのです。
木の実やヤマグミを食べたり蛇穴を掘り進んだり、川ではドジョウやサワガニ、タニシを捕まえ、夜はそれでおかずを作ってもらったりしました。

牛豚鶏の世話、山羊もいて、どうして牛の赤ちゃんは売られていくのだろうと泣いたりしました。

ミョウガを掘り、蜂の巣を探してあるきました。
冬は雪が降り、春は目が痛くなるほどの菜の花とレンゲ、夏は朝から晩までセミ、カブトムシを追いかけ、トンボが舞い始めると秋です。
山を歩き回って木の実やドングリを集めたり…


全てが輝いていた!
今も記憶の中で鮮やかによみがえります。



叔父は92才の大往生です。
「無理してこんでええで」という叔父の声が聞こえてくるようだ!(笑)


怖いほど何にもない空が、夜には満天の星で埋め尽くされ、学校で習った星座を探すのが難しいぐらいの星星星
日がのぼれはその空をくるくるとトンビが大きな翼を広げて飛び回るのです。


おじいちゃんが亡くなった時は、土葬だった!(驚)さすがに今回はそれはないだろ時代的にも。
あと、頭になんか着けたり紙でできた着物を着て小銭を辺りに撒きながら田んぼや畑の間を練り歩く葬式行列も、もう、今は行われていないと聞きます。

もずのはや煮え
ウスバカゲロウ
ホタルの幼虫
燃えるように咲く山桜




全て、全て



もう二度と会えない風景
もう二度会えない人と過ごした、忘れられない風景、忘れられない記憶。


間もなく恵那だ〜
ギリギリ〜
おじさん待っといて〜
もうすぐつくから
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by fraterkouhou | 2014-05-02 14:25 | ホッケー

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