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土佐武田の里、というロマン。

武田信玄死後、四男の武田勝頼が武田家を後継しましたが、
残念なことに若さゆえの無謀さか、騎馬で鉄砲隊に突っ込むというムチャな戦をした結果、
織田信長に散々な目に遭わされて父である信玄公からの勇将を失い、
最後は天目山で切腹して果て武田家が滅んでしまったわけなのですが・・・・

偉大なパパの後を継いだ息子が無理にパパの真似をした

という感じです。


さて、天目山で自害した勝頼は影武者で、高知県に落ち延びて生きていた!という伝説が残っています。
勝頼とその奥さん(三枝夫人)、勝頼の息子・信勝のお墓もあります。
伝承によりますと勝頼は武田の名を捨て、「大崎玄蕃(おおさきげんば)」と改名し、土佐に住んで64歳の生涯をまっとうしたそうです。

土佐ではこの伝承を大切に考え、「土佐武田の里」として今日まで守り伝えています。
現在も土佐武田の里において、今はもう失われてしまった武田家伝統の跡目継承式「擐甲の礼」を再現したりしています。

信玄公もまさか自分が死んだ後、すぐに武田家が滅びちゃって一家離散するとは思わなかっただろうな。
そして甲斐とは遠く離れた土佐の地で伝統の儀式が再現されているたぁ、墓場の中で苦笑いしているに違いないな。

ところで!

勝頼は四男でありながら武田家を相続しました。
長男の義信は非常に有能な武将でしたが謀反の疑いで切腹、
次男は盲目で三男は早くに亡くなってしまいましたので家督を継ぐ順番が思いがけず四男の勝頼にころがりこんできたのです。

しかしこの話にはもう一つ重要なエピソードがあり、武田信玄が跡取りに指名したのは実は勝頼の息子、つまり信玄にとっては孫である「武田信勝」だったのです。
しかし信玄が死んだ時まだ信勝は幼く、「元服するまでは勝頼が後見(フォロー係)に」との遺言もあったため勝頼が跡を継いだとか。

信玄はなぜ孫の信勝に家督を譲ろうとしたのでしょう・・・?
それは、勝頼の奥さんは織田信長に繋がる女性(信長の妹の娘)で、信勝は武田家と織田家という当時の「戦国最強2TOP」の血を受け継いでいたのです。

信玄は信長と争うのではなく、自分の死後は織田家との融和を図ろうとしていた節があります。

それをぶち壊したのが中継ぎの勝頼さん!(笑)

先発の信玄がノーヒットノーラン状態で6回まで投げて、
9回は最強の抑え投手がスタンバイしていましたのに、
7回を三者三振に討ち取ったのをいいことに8回を投げる時には
ベテランピッチングコーチの指導を完全に無視して自己流投球してしまったのですね!

信長「信勝だったら攻めにくいけど、勝頼だったらまあいっか。頂きます!」
家康「信長のアニキ!以前うちは信玄にボロ負けしてるのでリベンジしたいっす」
信長「じゃ二人で行こうかー」

みたいな感じ?知らんけど!(笑)

ということで勝頼はメタメタに負けてしまいましたが、土佐の香宗我部家を頼って落ち延びたのだと、
まあそういう説ですね。話飛びまくってごめんなさいね。

ちなみに、武田家の末裔は東北にも逃れており、仙台藩で幕末を迎えた者もいました。
先日、葬式の時に岩手県岩手町の沼福寺にある位牌堂に行きましたら
武田菱の家紋が入った武田家の位牌がずらーーーーっと並んでいて
それはそれは壮観だった。

武田氏は南部氏とも深いつながりがあるのでどういう経路かは分かりませんが
昔からお寺は役所の戸籍のような役目がありましたし、古い神社に行くと有力者の寄進の中に
意外な人物を見つけることが多々あります。

時代の流れの中で家屋敷や歴史的な建物はどんどん失われ、風景も大きく様変わりしていきますが
信心深い日本人はお寺や神社だけは昔どおり守っていることが多い。
神社仏閣は最後に残された歴史の証人なのかもしれません!

今日の武田ナンチャラ騎馬行列を見てちょっといろいろ思いました!

ていうか、あの当時の武将の身長は150センチそこそこ、馬はサラブレッドではなく日本の農耕馬みたいなやつだし、かの有名な宣教師ルイス・フロイスも
「西洋では馬上で戦う。日本人は戦わねばならぬ時、馬から下りる」
と書いているぐらいなので、我々がイメージしている武田騎馬軍団は幻であり、実際には「ポニーに乗った小さいおじさん」という感じだったのだろうと思われる。(悲)


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by fraterkouhou | 2013-04-12 22:22 | つぶやき

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